「ちゃんとしてるのに苦しい」——50代で働き方を見直した、ある日の気づき

50代の生き方

真面目にやってきた。それなのに、なぜか苦しかった。

「ちゃんとしてるよね」

そう言われるたびに、少しだけほっとしていた。

認められた、と思っていたのか。それとも、ちゃんとできていない自分への不安を、その言葉で打ち消していたのか。

今となっては、よくわからない。

ただ、40代に差し掛かった頃から、その「ちゃんとしてる」が、じわじわと重くなってきた。

仕事はある。生活もできている。大きな不幸があったわけでもない。

それなのに、朝起きるたびに、どこかに小さな憂鬱が座っていた。

「なんで私、こんなに苦しいんだろう」

その答えを探すのに、ずいぶん時間がかかった。

華やかな仕事の裏側で、感情をしまい続けていた

長い間、ウェディングプランナーとして働いてきた。

誰かの”一生に一度”を預かる仕事。華やかで、感動があって、やりがいもある。

でもその裏側では、ずっと緊張の糸を張り続けていた。

ミスは許されない。気配りを切らしてはいけない。どんなに疲れていても、笑顔でいなければならない。

そしていつの間にか、仕事だけじゃなく、日常でも同じことをしていた。

頼まれたら断らない。空気を読んで動く。弱音は見せない。

「これが普通」だと思っていた。 いや、思い込もうとしていた、のかもしれない。

苦しいと感じることすら「みんな頑張ってるんだから」「自分だけが特別しんどいわけじゃない」と、打ち消してきた。

感じないようにすることが、気づけば得意になっていた。

30代から少しずつ、ひずみが出ていた

転機は、劇的なものじゃなかった。

気づけば、ゴミが捨てられなくなっていた。家賃を払いに行けない日が続いていた。

おかしい、と思った。でも「明日やろう」が、また明日になった。

毎日、何かに追われていた。

時間に追われ、お客様に追われ、数字に追われ。気づけばいつも、時間がない。

次のゴミの日に出そう。明日、大家さんに持っていこう。

その「明日」が積み重なって、気づいたら動けなくなっていた。

心にも、時間にも、余裕がなかった。余裕がないことに気づく余裕すらなかった。

そう気づいたのに、それでもまだ「でも大丈夫、まだ頑張れる」と思っている自分がいた。

真面目な人ほど、壊れるギリギリまで我慢してしまう。

今ならそれがわかる。「まだ頑張れる」と思えているうちは、本当はもうとっくに、限界を超えているのかもしれない。

「働き方を見直す」は、逃げじゃなかった

50代に入る手前で、働き方を変えることにした。

正直、怖かった。

「逃げてるんじゃないか」「このくらいで音を上げるなんて、弱い」「もっと頑張れる人はたくさんいる」

そういう声が、頭の中でずっとしていた。

でも、ある時ふと思った。

頑張れなくなるまで頑張ったら、本当に動けなくなってしまう。

そうなる前に、自分で動かなきゃいけない。

それは弱さじゃなかった。むしろ、初めて自分の感覚を信じた瞬間だったのかもしれない。

少しずつ、選び直していった。肩書きも、ペースも「ちゃんとしなきゃ」という呪縛も。

そうしたら初めて、朝の空気が、少しだけ軽くなった気がした。

もし今、同じ苦しさの中にいるなら

ちゃんとやってきた。真面目に生きてきた。それなのに、なぜか満たされない。

そんな感覚、おかしくない。

むしろそれは、長い間、自分の感覚を後回しにしてきた証拠なのだと、今は思う。

苦しいと感じることは、弱さじゃない。

ただ、疲れているだけ。ずっと、頑張りすぎていただけ。

おわりに

働き方を見直してから「正解だったのかな」と思う日もある。

今も迷う。不安になる夜もある。

でも「このままじゃ苦しい」という感覚からは、少しずつ離れられるようになってきた。

その変化がどんなふうに始まったのか——仕事を手放す決断、鎌倉への移住、日常の中でじわじわと気づいていったこと。

そのひとつひとつを、noteの連載『50代からの選び直し』に書いています。

答えを教えるような内容じゃない。成功体験でもない。ただ、同じような苦しさを抱えている人に、 「ひとりじゃないよ」と伝えたくて、書き続けています。

もし気になったら、読んでみてください。

▶︎ note連載「50代からの選び直し」はこちら

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