鎌倉に5年。ひとりが好きと、本当は少し寂しいの間

50代の生き方

鎌倉に住んで5年になる。

最近「鎌倉・逗子・葉山に引っ越してきたけれど友達がいない」という話を聞くことがある。そんな話を聞くたびに思う。ああ、この感覚、なんかわかるな、と。

都内にいた頃は、予定のない休日が少し苦手だった。
時間が空けば誰かを誘った。飲みに行ったり、美味しいものを食べに行ったり。

特別寂しかったわけではない。
でも、ひとりで過ごす休日にどこか落ち着かなさを感じていた。今思えば「ひとり=暇」という思い込みがあったのかもしれない。

予定が入っている方が安心だった

若い頃は、予定が入っている方が安心だった。

誰かと会う約束がある。出かける場所がある。
それだけで、自分がちゃんと生きている気がしていた。

ちょうどSNSが広がり始めた頃でもあった。
楽しそうな写真を投稿して「いいね」が付く。そんなことにも、少なからず安心していた気がする。

今思えば、誰かと過ごしている時間そのものより、「ひとりではない自分」を確認したかったのかもしれない。

45歳で鎌倉に移住した。

正確には「移住」ではなく「引っ越し」なのかもしれない。
でも自分の中では、それまでの人生を一度手放すくらいの気持ちで来たので、今でも移住と言いたくなる。

鎌倉に来てから、休日の過ごし方はずいぶん変わった。
毎週、海沿いを走る。気が向けば朝さんぽ。神社仏閣を見に行く。本を読む。

特に予定がなくても、なんとなく一日が過ぎていく。
昔の私なら、そんな休日は退屈だと思っていたはずだ。でも今は違う。

何もしない時間や、誰とも会わない休日にも価値があることを知った。海を眺めたり、本を読んだり。誰かと比べることなく過ごせる時間は、思っていた以上に心地よかった。

それは年齢のおかげなのか、鎌倉に来たからなのか、自分でもよくわからない。でも確かなのは、ひとりの時間が好きになったということだ。

ひとりが好き。でも少し寂しい

だからといって、まったく寂しくないわけではない。
ここが少しややこしい。

友達が欲しいのかと言われると、そうでもない。
毎週誰かと会いたいわけでもない。飲み会に参加したいとも思わない。

それなのに、ふとした瞬間に少しだけ寂しさのようなものを感じることがある。

鎌倉に住んで5年。

近所を歩けば素敵なお店がたくさんある。
お気に入りのパン屋もある。よく走るコースもある。
それでも以前書いたように、「行きつけ」と呼べる場所はまだない。

常連になりたいわけではない。
誰かと毎日つながっていたいわけでもない。でも、どこかで人とのゆるいつながりを求めている自分もいる。

ひとりが好き。これは本当。

でも、本当は少し寂しい。これもたぶん本当。

どちらかが正解で、どちらかが間違いという話ではない。

若い頃は「寂しいなら人と会えばいい」、「ひとりが好きならひとりでいればいい」そんなふうに考えていた。

でも50代になった今は、そのどちらにも当てはまらない自分がいる。白黒、はっきりしない自分。ひとりが好きと、本当は少し寂しいの間。

ハリー・ポッターの9と4分の3番線みたいに、その間にしか存在しない場所がある気がする。ひとりでもない。かといって、誰かといつも一緒にいたいわけでもない。

今の私は、たぶんそこにいる。

若い頃の私は、どちらかを選ばなければいけないと思っていた。でも今は、どちらでもある自分を受け入れられるようになった。

ひとりが好き。でも本当は少し寂しい。
その曖昧さごと、今の自分なのだと思う。

鎌倉に住んで5年。

友達がたくさんいるわけでもない。でも孤独なわけでもない。その曖昧な場所が、最近は少し心地よい。


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